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2019.07.06 Saturday  | - | 

ごあいさつ

 

☆  いらっしゃいませ ようこそ! ☆

  『ランナー・タイ』のWEBページ公開は、お世話になりました皆様方への「近況報告」と「暇つぶし」のつもりで、はじめたものですが、多くの方々からのアクセスもいただき、このたび、トップ・ページなどを、このブログに移しかえて、よりすっきりしたかたちに整理しなおしたつもりです。
 不具合な点など、お気づきになられましたら、コメントいただけると、幸いです。
 なにとぞよろしく、お願いいたします。

  ☆ 北タイの片田舎に越して来て、30年あまりの歳月が流れ、最初のうちは、びっくり仰天したことも、今ではすっかり慣れっこになってしまいました。
 見聞きしたことや、気になったことなど、忘れないように、項目だけは列挙してあります。いまや、遠い昔の思い出になってしまったことも数知れず、どういうことになるのか自分でも予想できなくなってしまいました。

 今後もめげずに、わが「人生の集大成」のつもりで、ボチボチと書きこんでいくつもりでおります。

  ☆ このたび、懇意にしていただいております、小林ご夫妻が自費出版された 『ふるさと 写真集ブナの森 信州』を小生の「写真集」ファミリーの中に追加させていただき、公開させていただくことになりました。
 皆様にご鑑賞いただければと願っております。
 左の「LINK」からもアクセスできます。(2012/07/18追記)

     *     *     *     * 

 

2006.12.04 Monday 17:10 | comments(9) | 

ご利用方法など

 ☆ 従来のHTMLでのサイトつくりには、コメント受け入れやアクセス解析など、いろいろ問題を感じておりました。
 CMS(コンテンツ・マネージメント・システム)なる、WEBコンテンツの作成を支援し、それらの要件を満たしてくれそうな統合的ソフトが出回り始めているようですが、開発途上の新しいシステムで、まだ問題含みだったりして、小生のようなパソコン素人には、使いこなすのは難しそうに感じておりました。

 そんなわけで、少々飛躍的な発想ですが、ホーム・ページ(表紙)だけでもブログにしてみたらと試行してみることにいたしました。

 要件を満たしてくれて、使いよさそうなフリーのブログを探していたのですが、総合的に「JUGEM」 がもっとも理想に近そうで採用させてもらいました。

 不具合などございましたら、ご連絡いただけると有難いです。
よろしくお願いいたします。



☆  利用方法など ☆

 ・ 個別の記事の内容を見る
  上の『CATEGORIES』ボタン、もしくは、左の『ENTRIES』 から、それぞれの「カテゴリー」 を選択してクリックすると、
「〜編」 という従来のインデックスがご覧いただけますので、そこから個別の記事を選択してください。
 なお、現在のところ、個別の記事のページからの「戻り」が、ほとんどのページで、当ブログになっておりません。もとのままです。順次、更新していく予定ですが、「戻る」場合には、ブラウザの「戻り」をご利用いただけると有難いです。

 ・ 記事に対するコメント
  個別の記事に対するご意見などは、その記事が含まれているカテゴリー別のインデックスにコメントとして記入していただけると助かります。
 各記事のタイトル、もしくは、各記事の最下段の「 comments 」 をクリックすると、コメント書き込み画面に変わります。
 当ブログのコメントには、「非公開」という設定はないようです。「メール・アドレス」等の問題を起こしそうな内容は、記入しないようにお願いいたします。特に、メールによる返信は必要な場合は、コメント本文中に、「検索ロボット」が見落とすように若干加工して記入するか、当方宛、メールしてください。
 また、「 非公開コメント 」 を ご希望の方は、画面の右欄の「 profile 」から、小生宛のメール・アドレスをご参照いただき、直接メールをお願いいたします。

 コメントが書き込まれますと、当方にメールで連絡してもらえることになっておりまして、いくらかは、速やかに対応できるのではと思っております。

 はなはだ勝手ではありますが、「ランナー・タイ」の記事内容とは「無関係なコメント」や「気に入らない」コメントにつきましては、削除させていただく場合がございますので、あらかじめ、お断りいたしておきます。特に、CM目的のコメントは、お断りいたします。

 なお、「トラック・バック」は、受け付けないように設定してありますので、悪しからず。必要な場合は、コメント欄に、URL などを書き添えてご利用ください。HTMLタグの知識が必要で、ちょっと面倒ですが、ハイパー・リンクや画像の添付も可能なようです。

 ・ 更新記録
  最近の更新記録を掲載してあります。
 RSS も利用できますので、必要なら設定してみてください。

 ・ 『LINKS』 からは、
  『 ブログ日記 』、『 写真集 』 などがご覧いただけます。

 その他、ご不明の点がございましたら、ご一報ください。



☆  ブラウザ、解像度、著作権など ☆

 「 ランナー・タイ 」 全体を通じて、


・ 解像度 : 800 × 600 を原則に 画面設計してあります。
・ ブラウザ : 当初、WINDOWS XP  IE 6 を標準に作成して参りましたが、最近では、IE 8 で確認しております。  「 MAC OS 」 や 「Chrome」、「 MOZILLA 」系 などのブラウザでは、多少の不具合があるかもしれません。ご容赦ください。
・ タイ文字 を使用しているページもかなりあります。
  タイ文字フォントをインストールしてないと、タイ文字部分が 字化け、または「????」になってしまうと思います。
  気が向いたら、タイ文字フォントを導入してみてください。


 ・ 『 著作権 』 について

 小生の考え方として、WEB上で公開している記事・写真等
誰でも、いつでも、自由に閲覧できるものに対して、「 著作権 」を主張すること自体、妙な気もいたしております。
著作権 」は、主張いたしませんので、小生が公開いたしております記事、写真等、ご自由に処理していただいてかまいません。
 小生の記事などに不具合のある場合以外、ご連絡いただく必要はありません。
ロゴ  リンク掲載の際、お役に立てばと思い、左のような「 ロゴ 」を作りました。必要でしたら、お使いください。
ロゴ サイズは、大 100 × 43 px と 小 95 × 38 px ですが、加工していただいてもかまいません。

 拙い内容ではありますが、小生の記事をリンクしていただける方には、大変感謝いたしております。
 なお、リンクは、トップ・ページ(このブログ)以外の個別のページに直接リンクでもかまいません。

著作権法改悪反対
 「著作権法」など、あまり気にしてはいないのですが、最近、著作物の「著作権法」による保護期間が70年に延長されようとしているようです。
 現行では、多分50年なのでしょうが、その半分もあれば十分だと思っていたものが、さらに延長などとんでもないことだとあきれております。
 何事も「権利」などということが強調されると、世の中はますますギクシャクしてしまうものです。
 知的産物の有効利用が、さらにいっそう制限されることになるにちがいありません。
 さらに、不愉快なことは、「著作権」が、遺産相続の対象になっているということです。
 ついでですが、「特許権」や「商標登録」についても、同じような考えを持っております。
2006.12.05 Tuesday 04:40 | comments(3) | 

自己紹介(プロファイル)

 

自 己 紹 介

管理人   : 鈴木和紀 ( 通称 ノリ )

生年月日 : 非公開 ( 喜寿も過ぎた老いぼれジジイ )

現住所   : 48/1 Moo7, T. Maekham, A. Maechan, C. Chiangrai 57240

自宅電話 : +66 - 53 - 665 - 171 (この宅内電話は、すでに解約、使用不可)
     必要なときには、かみさんの携帯を使うが、電話番号は記憶にない。

メール   : kznori suzuki @ gmail.com (空白は埋めて、手入力で)

来歴等   : 生まれは、北支のフホホト(呼和浩特)市
     当時は、「厚和」といった。名前はここから1字拝借している。
     テレビ・ドラマ「大地の子」で主人公が、下放されていった町だが、
     幼いころの記憶の面影は全くなかったものの、
     生まれ故郷を見ることができて感無量であった。
     父親・吉男は静岡県人、母親・タケは栃木県人(宇都宮市雀宮)
     幼年期から、高校(掛西)卒業までは、遠州育ち
     森の石松の「森町」も高校の学区内(?)
     大学は、T 大 文学部 類卒( 卒業証書をもらっただけ )。
     仲倉重郎・眉子夫妻、濱田麻記子氏
は、クラスメイト。

     (仲倉氏からは、何で自分たちの名前だけ挙げたとクレイムを受けた)

     担任は、故森本和夫。

     大学卒業後は、20年ほどSE生活。

     三鷹・名古屋・鎌倉・広島・千葉(八千代台、行徳、浦安)など転々。
     三鷹の社員寮で、私物一切を紛失したことは、今でも尾を引いている。
     幼少時代からの写真・アルバム、学業成績、日記など全て失った。

     以後、「デラシネ」の生活に、どっぷりつかることになる。

     初めてのタイ訪問は、1984年ころ。
     86年に、北タイ・チェンライに脱走移住。「狂気の沙汰」 と非難される。
     心のやすらぎ、人間性の回復(?)は、金には代えられないと自己満足。
     わずかばかりの年金暮らしで、日本人としては、極貧である。
     「ただもらえる金、贅沢言うな!」(外野の声)

     90年代はじめころから、一時帰国。浦安、群馬(万座)、長野市内在住。
     02年、現住所に定住、現在に至る。

足跡    : 「風来坊」 の血を引いている。
     祖父は、かつて、「茶栽培」 などの師範として一時「種子島」 などに在住。
     父は、やはり、若かりし頃、「満鉄」 の下請けで、北支方面に勤務。
     そこで知り合った上司の妹と結婚。 母である。

     小生も、現在までに、北は、北海道から山口県まで、ほぼ全県に足跡。
     特に、浅草、千葉(八千代台、行徳、浦安)、神奈川(鎌倉)、
     群馬(伊勢崎、沼田)、長野、広島、名古屋とは縁が深かった。
     外国では、タイのほか、ロスアンジェルス、ハワイ、サイパン、
     ホンコン、ネパール、ミャンマーなど、 タイ以外 短期滞在ばかり。

趣味等   : 幼少より、無趣味、かつ「多趣味(?)」
     しいていえば、毎日の生活のすべたが、「趣味」 かもしれない。

     麻雀は、素人の域を超えていたこともあるが、タイではやらない。
     パチンコのパチプロだったこともあるが、タイでは出来ない。
     ゴルフは、弟のお下がりの道具を2セットもらったが、やる気はない。
     野球は、社会人チームでピッチャーまでやらされたことがあるが、素人。
     水泳は、得意ではないが、潜水で25mの記録はある。
     中学時代は、やさ男の癖に、「砲丸投げ」 で、陸上競技での初の表彰を。
     校内大会では、中学時代は、9人制のバレーボールの選手(?)。
     マラソンなどは、心臓に欠陥があって、大の苦手だった。

     オーディオ、カメラに凝ったこともあるが、卒業(?)。
     音楽は、「音痴」 で「不器用」。
     聴くだけだが、パソコン内に、5,000曲。
     「オペラ」 には、感動したが、柄でもないし、そのチャンスはない。

嗜好等   : 酒は体質的に全くダメ。生まれ変わるしかない。
     飲めないかみさんでよかった。飲まないのが、かみさんの結婚条件でも。
     「タイ料理」は、口にあわない。
     北タイの「縄文食」 の方がまだましである。
     料理は得意ではないが、旅館の板長の手下を1年ほど勤めていた
     こともあって、気が向けば自分で料理するが、普段は「男子厨房に入る
     べからず」をモットーにしている。
     「コーヒー通」 ではないが、自家製の豆で、毎朝1杯。 美味くない。

     禁煙はしないことにしていた。 かみさんは禁煙出来ない。
     そのつもりだったが、犬・猫の餌代捻出のために、2007年ついに禁煙。

タイ語   : 辞書引きながら読めるが、会話はいつも 通訳つき。
     そのくせ、自分で「通訳」 をつとめるのは、大嫌い。
     日本の役所に提出するタイ語の書類を全て自分で訳したが、
     「翻訳手数料」が払えなかっただけのこと。
     学校嫌いと努力不足。 40過ぎの手習い (すべて自習) は過酷だった。
     もっとも、「頭が悪かった」 だけのことかもしれない。

日常生活 : 人間、犬、猫、鶏、魚、果樹、野菜、草花の世話。
     タイでは、「チャオナー・チャオスワン (百姓)」 という。
     どうでもいいことばかりだが、その気になると結構大変ではある。
     「見返り」 がないときには、かなり落ち込む。
     特に、「情のうつった」 犬・猫が死ぬと、数日はいけない。
     「石松」ゆずりの「任侠(?)」 の血が流れているのかもしれない。
     情にもろい。
     「情に棹させば、流される」というが、流されてばかり。

「生活心情とスタンス」 :
     若かりし頃、「新左翼」 の一員だったこともあるが、「右翼」でも
     「左翼」でもない、「悩める人」 が好みで、「軽薄な凡人」 と自省。

     「氏(うじ)より育ち」。
     目線は、一貫(?)して出身階層である弱者や貧乏人の側。
     「偽善者」 呼ばわりされたこともあるが、おおむね当たりである。

     「えらい人」 は苦手である。「家系」 や 「先祖様」 の傘の下にいる人も。
     田舎の小学校以来の同級生に、県知事を勤めていたものもいたり、
     大学時代の知り合いには、「偉く」 なった人が数々いるが、親族の期待を
     裏切って、貧乏している。

     だが、佐川満男の歌のように「 いまは幸せかい〜 ♪ 」と訊かれれば、
     「まあまあですね」 と答えることは出来るかもしれない。
                  (2012/02/12 ちょっとだけ改訂)

 

               ※ 「年金記録」などを参照した「就業履歴」は、こちら

 

 

 

2006.12.05 Tuesday 16:02 | comments(10) | 

最近の更新

最近の更新

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2019/03/25                   
             Geocities サービス終了に伴う、「忍者」への移行

2006.12.05 Tuesday 18:41 | comments(2) | 

「ランナー・タイ」とは

ランナー・タイ 』とは

 大昔のことですが、今をさる数千年前のある時期、東アジアから東南アジアの大陸部にかけての民族分布は、大雑把に言って、北の黄河中上流一帯に漢民族、華中から華南にかけてタイ系民族の祖先、その南にモン・クメール系民族、さらにその南、インドシナ半島の北部から南部にかけて、マレー・ポリネシア系民族が、住んでいたのだそうです。

 人類というのは、絶えず移動を繰り返していて、ある民族が移動・流入してくると、先住の民族は、その生活をおびやかされることから、先住民族もまた移動を始めるといった具合に、民族移動は「ドミノ倒し」のように波及していったようです。

 民族移動というのは、何らかの理由で、ある時期突然大移動ということもあったかもしれませんが、徐々に移動していったものと思われ、その過程で民族の混交などということもあったに違いありません。
 山間の盆地など、民族移動の影響がなかったところでは、移動しないまま残った人たちもあったことと思われます。

 中国の殷・周時代以前に、黄河中流域に伝説上(?)の「夏」 という国が、あったそうですが、この国はタイ系民族の国だったという説もあるそうです。
 殷・周時代には、すでに、漢民族は黄河下流域にまで移動してきていて、そのころには先住民族だったかもしれないタイ系民族などは、南下せざるを得なかったものと思われます。

 その後も漢民族の南下は続き、それにつれて、タイ系民族、モン・クメール系民族なども南下し、南のインドシナ半島部のマレー・ポリネシア系民族は、東南アジアの島嶼部に押し出されていったようです。現在の海洋民族・ポリネシア民族も、その祖先はアジアの大陸部を住みかとしていた人たちだそうです。

 やがて、タイ系民族は華南に移動し、さらに、長江をさかのぼって南西方面、今の貴州、雲南方面に移動するものもあったようです。

 南西方面に移動していったタイ系民族も、時代が変わるとともに、大タイ、小タイなどさまざまな民族に分かれていったようですが、やがて、現在のタイ国のあたりに、北タイ系、東北タイ系、中央タイ系の三つのグループが出来ていったようです。
 その北タイ系の人たちによって建てられた国が、「ランナー国」、中国史に登場する「八百★国(★は、女へんに息)」で、西暦の12世紀ころ、平安時代の末ころのことだそうです。
 「ラン」とは、「百万」という意味で、「ナー」とは、「稲田」を意味します。「百万の田のある国」で、豊かな稲作文化の国をあらわしているようです。
 都邑(みやこ)は、現在のチェンマイ県の北部の「チャイプラカーン」あたりにあったようです。メコン川の支流、「コック川」 をさかのぼったところです。当時は、このあたりまで、クメール帝国の勢力が及んでいたそうですが、その版図の辺境の地に、かろうじて建国できたようです。

 その「ランナー国」 の流れをくむランナー・タイの中興の祖といわれる「メンライ侯」 は、13世紀末ごろ、日本の鎌倉時代に相当する時期にチェンセンに都城し、その後、チエンライ、チエンマイと都を移し、「モン族(モン・クメール)」 の都、ハリプンチャイ(今のランプーンあたり)を倒して「ランナー国」を再興したのだそうです。現在でも、「メンライ大侯(パヤ・メンライ・マハラート)」 と呼ばれてあがめられています。

 その後、「ランナー国」は、「アユタヤ王朝」、「ミャンマー王朝」 など近隣諸国の属国になったこともあったようですが、100年ほど前まで、ともかくも王朝だけは維持されてきたようです。
 現在のタイ国に併合されたのは、20世紀初頭になってからのことで、現在も、ランナー王朝の王族の子孫は健在だそうです。
 現在では、当時の、この「ランナー国」を「ランナー・タイ国」とよび、往時の勢力圏だった、チェンマイとその近郊を「ランナー・タイ」と呼んでいます。

 「ランナー国」 の勢力圏は、主として、現在のチエンマイ、ランプーン、ランパーン県にあたりますが、チェンライ県、パヤオ県には、「ランナー国」 が「シャム国」 に併合されたころ、多くのランナー・タイの住民が移住してきたもので、現在の住民のほとんどが、ランナー・ルーツの人たちです。

 このころ、中部タイや、東北タイからの住民の流入も相次ぎ、自分たちをこれらの人々と区別するために、「コン・ムアン(ムアンの人)」と呼んだそうです。
現在でも、北タイ人のタイ系民族を総称して、「コン・ムアン (注)」 と呼んでいます。「コン・ムアン」 のしゃべる言葉を、「カム・ムアン」 といいます。

 ところで、現在の北タイ系の民族の多くが、外見上、中国人系の容貌をしているのは、漢民族との混交の結果ではないかと思ったりしております。タイ系民族の祖先が、漢民族とだけ混交したわけではなく、それ以前にも以後にも、モン・クメール系の民族や、マレー・ポリネシア系民族との混交もあったものと思われます。東北地方(イサーン)の人たちの多くは、クメール人(?)系の顔立ちだったり、中部タイのタイ人には、マレー系やインド人の面影のある人が多いのは、そういった民族の交じり合いの結果のように思われます。

 そもそも、「民族の純血」、「民族浄化」 などというのは、ナンセンスなことで、「狂気の沙汰」 と言えるのではないでしょうか。
 タイは、「多民族国家」 で、しかも、その多民族の混交した社会です。南タイの一部を除けば、「民族問対立」 はありません。
 『タイで生まれて、タイ語を話せばタイ人』、じつにすばらしいことではないでしょうか。


 (注) 「ムアン」 とは?
 「ランナー国」 は、「ムアン」 の集合体です。
また、「ムアン」は、「バーン(村)」 の集合体で、それぞれの長(おさ)は、「チャオ・ムアン」、「ポー・ルアン」と呼ばれていたそうです。
 「チャオ・ムアン」のなかの、有力者が国を代表する「王」の役目をしていたようですが、初期のころは、必ずしも世襲ではなかったらしいのですが、やがて、世襲制になり、「ランナー王朝」が成立したのだそうです。
  「コン・ムアン」というのは、言い換えれば、「ランナー人」 という意味のようです。

 「ランナー・タイ」、「コン・ムアン」、「カム・ムアン」 については、別に詳しい記事を書く予定です。
2006.12.07 Thursday 07:45 | comments(0) | 

社会編インデックス

[ 社会編 ]
社 会 編

タイトルをクリックすると、記事にジャンプします。
 
「雨ニモマケズ」 − 北タイ人気質 −
宮沢賢治気質が生きている北タイの田舎
( 2007/05/18 )
タイ人の刺青の習慣
北タイ人のイレズミ、堅気の「モンモン」
( 2007/02/15 )
「 北タイの 米つくり ( 雨期作編 ) 」
2006年、雨期の、米つくりの記録です。
( 2006/12/06 )
「 北タイの 米つくり
2006年、乾期の、米つくりの記録です。
( 2006/06/30 )
ソンカーン 」 - 北タイの新年
「タイ新年」の行事の、由来や言い伝えなど
( 2006/04/20 )
カレンダー - タイ暦、ランナー暦
いまでも、生きているタイの旧暦のしくみ
( 2005/08/26 )
酒も 魔薬
酒好きの北タイ人、泥酔事故もあとを絶たず
( 2005/06/22 )
木挽き
今でも見られる、人力 製材・「北斎」の世界
( 2005/03/10 )
米の収穫
むかしながらの、人力による稲刈り、脱穀作業
( 2004/11/20 )
ナショナル製 」が、「サンヨー」の ダンボールに
包装や入れ物を軽視する、タイ人の考え方
( 2004/04/18 )
入り鉄砲に出女
幹線道路のあちこちにある、恐ろしい関所
( 2004/04/12 )
美人 の産地
北タイの美人卿・美人コンテストの上位常連
( 2004/04/12 )
田舎の 結婚式
義弟の結婚式の記録・古ランナー・スタイル
( 2004/01/21 )
田舎の 葬式
近所の親戚の、5日にわたる葬式の記録
( 2004/01/24 )
タイ人の唐津陶芸家
「ドイ・ディンデーン陶工房」紹介
( 2018/03/20 )

 

 

以下、今後書き込み予定のテーマ ( 順不同 )

「こわいおじさん」、「こわいおばさん」(華僑)
「カトゥイ(おかま)ー性同一障害者」
「足」について
「運転免許証」
「ナン」おばさんと子供たち
「ジャパ行きさん」
「私有」ということ
「ソイ・ダオ」
「土地」に対する考え方
厚着のオシャレは北タイで

雨安居(カオパンサ)
田舎のオリンピック
田舎のムォイ・タイ
田舎のワールドカップ
黄金それは、勲章
鉄漿(おはぐろ)−キンマ
お役人、「官員」さん
カーバイトで爆竹・プル
賭け事
華人社会

金持ちの施し(施す側に徳分)
共同作業・ゆい
近所付き合い
空間距離(そんなに近づかないで)
子供の遊び
子供の日
父の日・母の日
先生の日
誕生パーティー

自尊心
順法精神、融通主義
水利組合
世代ギャップー役所の窓口の雑巾
先祖、家系
タイ人の姓名
タイ人の「義理人情」感覚
出生届け--「バイラン」の時代から
子育て、しつけ
誕生会

国際結婚
帰化、国籍
離婚
末子相続
家族制度
尊敬されない日本人
タイの人種差別
2つの世界(タイ社会の身分構造)
タイの文化基盤(中国、モン・クメール、インド、アラビヤ)
タイのマハラジャ

宝くじ
闇宝くじ
タバコ事情
ヘア・スタイル
男尊女卑
徴兵制度
手作り花火・プル
鉄砲(先込銃)
テレビ番組
リンチ・テロのある社会

電化社会(TVが時代を変える)
電話
どろぼう
ナヨック・タクシン
人買い
不法滞在
ペイトン(ペタンク)
微笑みの国
ボランティア活動
身分証ー国民総背番号

結婚・離婚(「イ・カーン」の家族のケース)
婿入り婚
村の成り立ち
メカム川のゴールドラッシュ
メカム川の祀り
緩やかな社会構造
養魚池
綿紡ぎ、機織
「田(ナー)」と「畑(ハイ)」 - 発想の豊かさ

 

 

2006.12.07 Thursday 17:38 | comments(0) | 

交通・通信編インデックス

交通・通信編

タイトルをクリックすると、記事にジャンプします。
 
ADSL奮闘記
タイの田舎もブロードバンド時代に。でも使えない!

 

( 2005/06/23 )

「 タイの郵便番号
郵便番号のしくみや、各都県の主な郵便番号
( 2006/04/01 )

 

 

以下、今後書き込み予定のテーマ ( 順不同 )

北タイのパソコン事情
「ネット中毒」。見ないと淋しい、見てもらわないと淋しい。
VIPは、パトカー先導で、猛スピード
神風バス
検問所
交通違反、減点制度
交通事故
信号機、横断歩道、歩道橋
車(乗用)のいろいろ 「サムロー」、「ソンテオ」、「イテン」
「メカム川」のラフティング(筏下り)
小さな竹の橋

 

 

2006.12.07 Thursday 22:29 | comments(0) | 

保健・医療編インデックス

保健・医療編

タイトルをクリックすると、記事にジャンプします。
 
おすすめ! 「ピロリ菌除去
ヘビーな 持病 「 胃潰瘍 」 の快癒 体験
( 2005/07/21 ) 改訂
慢性硬膜下血腫」 の手術体験
交通 事故。 奇跡(?)のカンバック
( 2005/06/25 )
大腸ポリープ」 の手術体験
「大腸がん」 への移行も?
( 2005/03/08 )
感染症 について思う
「SARS」、 「鳥イン」、そんなに恐ろしい?
( 2004/02/02 )

 

 

以下、今後書き込み予定のテーマ ( 順不同 )

医療制度・30バーツ保健、『30バーツで、皆死ぬ!』
病気になれば
「老化」
暑さ寒さ、適応力、順応性
田舎のクリニック
命の値段、生命(いのち)の考え方
救急車・救急奉仕隊
産児制限一人っ子政策
千里眼、地獄耳ー視力3.0なんて普通
「HIV(エイズ)」感染症

風土病
「フィラリア症」
「ツツガムシ病」
「破傷風」
「隔離病棟」
麻薬事情
老人介護・老人ホーム
ウィルス性肝炎
「癩病(レプラ)」
「狂犬病」

 

 

2006.12.07 Thursday 22:31 | comments(0) | 

歴史編インデックス

[ 歴史編 ]
歴 史 編

タイトルをクリックすると、記事にジャンプします。
 
「コン・ムアン」
北タイの 「 平地のタイ人」を、自他称ともに「コン・ムアン」
と呼ぶことがありますが、言葉の由来を調べてみました。
( 2007/02/05 )
バイラーン (紙以前の筆記用具)
北タイの 「 貝多羅 」、紙の代用の「 椰子の葉 」について
( 2005/07/20 )
「チエンライの日本軍」
太平洋戦争中、北タイにも 進駐していた 旧・日本軍
( 2005/04/11 )

 

以下、今後書き込み予定のテーマ ( 順不同 )

わが家の「考古学」
チェンセンの歴史
「タイ族一大文化圏」−華南、雲南、ベトナム、ラオス
ランナータイ
「クワイ川マーチ」
「国民党」−ドイ・メサロン
「徴税」請負人
「反共のとりで」
「ベトナム戦争」
「蒙古襲来」

「モン・クメール」文化
アユタヤ時代の北タイとビルマ
アユタヤ時代の北タイとラオス
アユタヤ時代の陶磁器
アンコールワットを造った人々(カメン人)

我が家の「考古学」
欧米帝国主義の北タイ進出
学校設立と日本人
薬屋さんはベトナム人
蚕糸事業と日本人

タイの三大女傑
戦前の日本人留学生
タイにあった『ビルマの竪琴』(ランプーンのFさん)
タイの「黒船襲来」
タイの王統

タイの法制と日本人
鉄道開通
鉄道建設と日本人
ドーソン文化(青銅器文化)
古代日本列島にタイ人移住者がいた
東インド会社と北タイ
2006.12.07 Thursday 23:03 | comments(0) | 

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2006.12.08 Friday 17:25 | comments(0) | 
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