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2016.02.08 Monday  | - | 

「ランナー・タイ」とは

ランナー・タイ 』とは

 大昔のことですが、今をさる数千年前のある時期、東アジアから東南アジアの大陸部にかけての民族分布は、大雑把に言って、北の黄河中上流一帯に漢民族、華中から華南にかけてタイ系民族の祖先、その南にモン・クメール系民族、さらにその南、インドシナ半島の北部から南部にかけて、マレー・ポリネシア系民族が、住んでいたのだそうです。

 人類というのは、絶えず移動を繰り返していて、ある民族が移動・流入してくると、先住の民族は、その生活をおびやかされることから、先住民族もまた移動を始めるといった具合に、民族移動は「ドミノ倒し」のように波及していったようです。

 民族移動というのは、何らかの理由で、ある時期突然大移動ということもあったかもしれませんが、徐々に移動していったものと思われ、その過程で民族の混交などということもあったに違いありません。
 山間の盆地など、民族移動の影響がなかったところでは、移動しないまま残った人たちもあったことと思われます。

 中国の殷・周時代以前に、黄河中流域に伝説上(?)の「夏」 という国が、あったそうですが、この国はタイ系民族の国だったという説もあるそうです。
 殷・周時代には、すでに、漢民族は黄河下流域にまで移動してきていて、そのころには先住民族だったかもしれないタイ系民族などは、南下せざるを得なかったものと思われます。

 その後も漢民族の南下は続き、それにつれて、タイ系民族、モン・クメール系民族なども南下し、南のインドシナ半島部のマレー・ポリネシア系民族は、東南アジアの島嶼部に押し出されていったようです。現在の海洋民族・ポリネシア民族も、その祖先はアジアの大陸部を住みかとしていた人たちだそうです。

 やがて、タイ系民族は華南に移動し、さらに、長江をさかのぼって南西方面、今の貴州、雲南方面に移動するものもあったようです。

 南西方面に移動していったタイ系民族も、時代が変わるとともに、大タイ、小タイなどさまざまな民族に分かれていったようですが、やがて、現在のタイ国のあたりに、北タイ系、東北タイ系、中央タイ系の三つのグループが出来ていったようです。
 その北タイ系の人たちによって建てられた国が、「ランナー国」、中国史に登場する「八百★国(★は、女へんに息)」で、西暦の12世紀ころ、平安時代の末ころのことだそうです。
 「ラン」とは、「百万」という意味で、「ナー」とは、「稲田」を意味します。「百万の田のある国」で、豊かな稲作文化の国をあらわしているようです。
 都邑(みやこ)は、現在のチェンマイ県の北部の「チャイプラカーン」あたりにあったようです。メコン川の支流、「コック川」 をさかのぼったところです。当時は、このあたりまで、クメール帝国の勢力が及んでいたそうですが、その版図の辺境の地に、かろうじて建国できたようです。

 その「ランナー国」 の流れをくむランナー・タイの中興の祖といわれる「メンライ侯」 は、13世紀末ごろ、日本の鎌倉時代に相当する時期にチェンセンに都城し、その後、チエンライ、チエンマイと都を移し、「モン族(モン・クメール)」 の都、ハリプンチャイ(今のランプーンあたり)を倒して「ランナー国」を再興したのだそうです。現在でも、「メンライ大侯(パヤ・メンライ・マハラート)」 と呼ばれてあがめられています。

 その後、「ランナー国」は、「アユタヤ王朝」、「ミャンマー王朝」 など近隣諸国の属国になったこともあったようですが、100年ほど前まで、ともかくも王朝だけは維持されてきたようです。
 現在のタイ国に併合されたのは、20世紀初頭になってからのことで、現在も、ランナー王朝の王族の子孫は健在だそうです。
 現在では、当時の、この「ランナー国」を「ランナー・タイ国」とよび、往時の勢力圏だった、チェンマイとその近郊を「ランナー・タイ」と呼んでいます。

 「ランナー国」 の勢力圏は、主として、現在のチエンマイ、ランプーン、ランパーン県にあたりますが、チェンライ県、パヤオ県には、「ランナー国」 が「シャム国」 に併合されたころ、多くのランナー・タイの住民が移住してきたもので、現在の住民のほとんどが、ランナー・ルーツの人たちです。

 このころ、中部タイや、東北タイからの住民の流入も相次ぎ、自分たちをこれらの人々と区別するために、「コン・ムアン(ムアンの人)」と呼んだそうです。
現在でも、北タイ人のタイ系民族を総称して、「コン・ムアン (注)」 と呼んでいます。「コン・ムアン」 のしゃべる言葉を、「カム・ムアン」 といいます。

 ところで、現在の北タイ系の民族の多くが、外見上、中国人系の容貌をしているのは、漢民族との混交の結果ではないかと思ったりしております。タイ系民族の祖先が、漢民族とだけ混交したわけではなく、それ以前にも以後にも、モン・クメール系の民族や、マレー・ポリネシア系民族との混交もあったものと思われます。東北地方(イサーン)の人たちの多くは、クメール人(?)系の顔立ちだったり、中部タイのタイ人には、マレー系やインド人の面影のある人が多いのは、そういった民族の交じり合いの結果のように思われます。

 そもそも、「民族の純血」、「民族浄化」 などというのは、ナンセンスなことで、「狂気の沙汰」 と言えるのではないでしょうか。
 タイは、「多民族国家」 で、しかも、その多民族の混交した社会です。南タイの一部を除けば、「民族問対立」 はありません。
 『タイで生まれて、タイ語を話せばタイ人』、じつにすばらしいことではないでしょうか。


 (注) 「ムアン」 とは?
 「ランナー国」 は、「ムアン」 の集合体です。
また、「ムアン」は、「バーン(村)」 の集合体で、それぞれの長(おさ)は、「チャオ・ムアン」、「ポー・ルアン」と呼ばれていたそうです。
 「チャオ・ムアン」のなかの、有力者が国を代表する「王」の役目をしていたようですが、初期のころは、必ずしも世襲ではなかったらしいのですが、やがて、世襲制になり、「ランナー王朝」が成立したのだそうです。
  「コン・ムアン」というのは、言い換えれば、「ランナー人」 という意味のようです。

 「ランナー・タイ」、「コン・ムアン」、「カム・ムアン」 については、別に詳しい記事を書く予定です。
2006.12.07 Thursday 07:45 | comments(0) | 

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